国外と国内での創作の違い、先進国と途上国の創作の違いを知り、表現の振り幅を持つカンパニーに出来ることが、ここにあると考え、創作の模索の過程をここに開示します。

                                   佐次えりな

「竹取物語」台湾バージョンについて 
(2019年2月1日からリハーサル開始
 東京アトリエ上演 3月1日から3日・台湾上演 3月8日から10日

今回の竹取物語では、「異国の人との真の対話」がいかに難しいかを突きつけられたような気がします。異国の地の人がやって来て、自分たちの常識や習慣に沿って生活をしても、何かが違う。自身が異物であることは拭えない。特に、儀式めいたことに、異国の人には拒否権はない。郷に入れば郷に従う。異国の地では、マイノリティは更に弱い。心を通わせても、何かが邪魔をしてしまうのは、「前世からの縁がなかったから」と帰国を自他に納得させる。「運命を受け入れる」それも1つの生きる力であるのではないかと、奥の深い俗的な物語だと思う。

数年前から、日本にいるよりも東南アジアにいることの方が多くなり、観光目的でもなく、全てを用意してもらうような仕事ではない、異国の地で、何もかもを自分で切り開かなければならない状況におかれ続けました。そこで出会った人々からは、もちろん日本人からも、異質な人間として映ったと思います。今も、その国に住む人の誰からも、私の活動の真の意味は理解されていないのではと思うほど、私の活動は異質だったと思うのです。もちろん、自分の周りや私にプロジェクトを託してくれた皆さんからは、信じがたい理解と協力を得ました。そういったこともあり、竹取物語のリハーサル中や本番中に、「真の対話」とは何か「言語」とは何かを改めて考えなければならなくなりました。正直なところ、ここ数年、日本語を母国語とする日本人通しの創作に、私は困難を感じています。曖昧な日本語の良さを気に入ってはいますが、創作の1つの壁になることも多く、今回もこの「言語」が1つの課題になったと思います。私は、オープニングに「言葉を発見する過程」を描きました。既に母国語が日本語であるキャスト通しは、それを再発見することが難しく、当初、イメージしていたシーンには全くなりませんでした。5、6年前は、このようなシーンは簡単に創作できていたのに、海外では1時間あれば創作できるシーンなのに、今の日本の表現者とは出来なくなりました。こんな簡単に外国に飛べる時代なのに、日本や東京は、案外、内に向かっているのではないかと思います。ただ海外に行くだけで、その地で結局は内に向かっているとしたら、なんのための移動だろう、、、。私の稽古場は、常に開かれていたい。そう思って設立したUtervisionという集団のあり方を、再度、模索しようと考えています。次の新作は、蜘蛛の糸。今のところ、私の稽古場は空っぽです。           

                                                                                                                             19/03/2019